
GR-DICITAL 台北
「シーナさん」とは言わずもがな作家の椎名誠さんのことである。
私はシーナさんが好きである。 シーナさんの圧倒的決定的オモシロオカシ的怒濤の文体(シーナ調を意識、、、)はいつ読んでも見事でまたたく間に引き込まれてしまう。本当にたまらない。
シーナさんの本は大好きなのだが、実は私も毎度毎度そればかりを読んでいる訳ではない。 時としてシーナさんの本を無性に激しく読みたくなる時期があり、まさに今わたしは人生に何度目かの「シーナさんブーム」のまっただ中にいるのだ。
最初に「発作的シーナさんブーム」が訪れたのは私が社会人になって間もなくのころだった。
遊んでばかりの学生時代で確固たるビジョンも意志も何も持たぬままま就職したのが某商社の一般事務職だった。 不得手な計算事務に四苦八苦し、学生時代の仲間たちとはちょっと違った華やかな雰囲気の同期にも最初はなかなか馴染めず「これが社会人の日常か、、、」などと暗い気分で毎日を過ごしていた。 漠とした不安がつねにまとわりついていた。
家を出てからの楽しみは通勤時、電車の中で好きな本を読むときだった。 しかしそれも最初のうちで、日ごとますますどんどん気分が滅入っていくにつれ、何巻もあるような壮大な物語や正統派のブンガクはついにはアタマが拒絶するようになってしまった。
そこでシーナさんの本の登場である!! シーナさんの書く文章に「わはははははは」などとついつい引き込まれ何度降りる駅を過ぎそうになったことか。 シーナさんの本を読んでる間だけはおかしくてしばし陰鬱な気分を忘れた。 とくに「あやしい探検隊シリーズ」と「哀愁の街に霧が降るのだ」は私の学生時代とも被る点が多々あり当時だいぶ気分を和ませてくれた。かくして私の「第一次シーナさんブーム」は訪れた。
こんな後ろ向き人生の「現実逃避」のためにシーナさんの本を読んでいるなどと言ったら、他のシーナさん好きな人やご本人が知ったら(知れるわけもないが)どう思うだろう。
でも本当のことだからしょうがない。私が最もシーナさんを必要とするときは、このように一人勝手に弱っているときなのである。 それからも何度か「シーナさん漬け」のブームは訪れた。 そのたびにひたすらシーナさんの文章に没頭し、気持ちを紛らわせていた。
で、今である。 今日は「ロシアにおけるニタリノフの便座について」を読んだ。
笑った。メチャクチャ笑った。面白すぎた。といっても電車の中や一人ランチのときなので笑いたくても笑えない。 こみ上げるおかしさをこらえるのに必死だった。
それで今日フと思ったのである。 こうやって何度シーナさんの本に助けられてきたのだろうと。
そして自分はきっとやっぱりなんとかなるのだろうと。 何となく鬱っぽかった気分が今日久しぶりに少しだけ晴れた気がした。
なんってったってこっちには「シーナさん」の本があるんだかんなっ!!!
わたしの「究極のお助けアイテム」に感謝
長文駄文 失礼、、、 (猫